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旧日本郵船 小樽支店

旧日本郵船 小樽支店へ行ってまいりました。小樽の中心地から少し離れているためいつも閑散としていますが、当時の日本と三菱財閥の富を結集した、とても魅力的な建物です。

残念ながら2018年11月~2022年3月の間に保存修理工事へ入ってしまいますが、修理前の形を残しておきたいという事で今回記事にしました。

 

旧日本郵船 小樽支店の場所・入館料

旧日本郵船 小樽支店は小樽運河を南下した所に位置します。小樽運河からは直接、日本郵船前に広がる公園を介してアクセスできます。

旧日本郵船 小樽支店の裏手には遊歩道として整備された手宮線が走っており、手宮線遊歩道を介してアクセスすることも可能です。手宮線は駅前では単線ですが、ここまでくると複線になるんですね。

入館料は嬉しいことに無料!現在は小樽市によって管理されています。

 

旧日本郵船 小樽支店の歴史

まず日本郵船は明治18年に岩崎弥太郎によって設立され、三菱財閥の繁栄を支えた中核的企業です。第二次世界大戦時は戦争によって多くの船・航路をなくしてしまう事になりますが、戦後に復旧をし、昔ほどではありませんが現在でも名の知れる企業となっています。

ここ小樽は北海道開拓時代、世界各国や日本本州と北海道を繋ぐ玄関口でした。旧日本郵船 小樽支店は、当時の北海道物流の心臓と言っても過言ではありません。

しかし歴史が進むにつれ船舶の技術が進化を遂げ、船舶輸送は航路の短い日本海側から、航路は長いが企業が集中する太平洋側へ移っていきます。小樽にいた企業はインフラの進化と共に撤退をはじめ、貿易港としての座も苫小牧へ奪われていきます。遂には日本郵船小樽支店も昭和46年に廃止をし、小樽は長らくの間、斜陽の街と呼ばれていました。

東京は古い建物を取り壊し新しい高層ビルを建てていく中、斜陽の街と呼ばれた小樽には古い建物を立て直すお金や需要がありませんでした。それが功をなし、現在の様なノスタルジックな街になったのです。

日本郵船 小樽支店の廃止後は、小樽市がその建物を買い取り現在では一般公開をされています。

 

 

旧日本郵船 小樽支店の建物について

旧日本郵船 小樽支店の建屋は前支店が焼失したことをキッカケに、明治39年に建てられました。建築費は当時の価値で6万円、現在の価値に直すと2億2千800万円ほどです。

そして小樽支店は大変考えられた立地になっており、支店の手前には小樽運河が流れ、裏側には手宮線が走ります。その間に支店と倉庫を構える事で、陸から海へ、海から陸へとスムーズに貨物を乗せ換えられました。

建物は一度焼失した過去もあり、石造りである事をはじめ、建物の至る所に防火対策が施されています。万全な防火対策の甲斐もあり、現在ではヨーロッパ建築様式を取り入れた明治時代後期の代表的な石造建築物として重要文化財となっています。

また歴史的な価値も非常に高く、過去には政府が小樽支店で日露国境画定会議が開かれたこともありました。その後も戦時中には軍の施設に、敗戦後はロシア軍に占拠されるなどしています。

 

 

旧日本郵船 建物の見所

建物は土足厳禁ですから靴を脱いで上がります。

1F 営業室

営業室の全体

まず目にするのが1Fの営業室、東京から派遣された日本郵船の職員がコチラに勤めていたそうです。建築当時は柱が殆ど無い吊り天井でしたが、強度的に問題があり明治・昭和に柱が追加されています。時代によって柱のデザインが違うところも見所の一つ!(明治の柱には装飾が入っています)

現在も当時の机椅子が並んでいます。

営業室の天井

天井には二条城などの日本建築と同じような装飾を取り入れた作りになっています。和洋折衷ですね。

そして少々分かりづらいですが、天井には電線が張り巡らされ、電球が垂れ下がっています。当時は一人1つの電球を使っていたそうで、天井にあった滑車とレールで電球の位置や高さを自由に変えられる様になっていたそうです。ハイテクですね!

 

防火シャッター

窓には米国製の防火シャッターが使われています。明治時代に防火シャッターがあったことに驚きですが、今も現役で使われているのにも驚きです。

因みに窓ガラスは寒さ対策で2重構造になっています。明治時代で防寒のために窓ガラスを2重って、なかなか凄い事だと思います。

 

艦船模型 白川丸

1F営業室で最も目を引くのがこの艦船模型「白山丸」です。白川丸は欧州と横浜を結ぶ貨客船として就航しましたが、キスカ島の軍事作戦に服務中、米潜水艦の攻撃を受け撃沈しました。

この艦船模型、なんと!今も日本郵船の所有物なんです!当時はコンピューターのシミュレーションも無い時代ですから、実物を縮尺した艦船模型で性能を試すんですね。この白川丸は実物の艦船と同じ素材が使われているそうです。現在はコンピューターの普及によって艦船模型を作っていた会社は残っておらず、このような艦船模型を作ることができる職人は残っていないと言われています。時価総額は驚きの1億円です。

とても精巧に作られていますね。

好きな人にはたまらない、知る人ぞ知る艦船模型です。

 

金庫室

営業室の一画に金庫室があります。重厚な扉の先には石造りの床に白壁と、特に防火に気を配っていたことが分かります。天井は波打った鉄板が使われていますが、これも炎の拡がりを遅くするための工夫だと言われています。

そして気になるのは金庫室の一番奥にある金庫、気になりますよね!

この金庫に何を入れていたかと言うと・・・何も入れていませんでした!

というのも、金庫の扉の形をしていますが、開けると外に通じている非常口です。現在ではなぜこの様なものを作ったのか分かっておらず、当時の建築者の洒落では無いかと言われています。

 

貴賓用玄関

明治時代の日本には身分制度がありました。この旧日本郵船 小樽支店でも顧客用・従業員用・貴族用と入り口や空間が仕切られており、当時の身分制度を伺うことができます。

こちらは貴賓用玄関です!

床は大理石、残念ながらガラス扉で仕切られており、立ち入り禁止でした。

 

 

 

貴賓用階段

貴賓室が2Fにありますので、貴賓用の階段が設けられています。手すりが綺麗な湾曲を描いていますが、一枚の木材から作られておりつなぎ目がありません。木目も手すりの湾曲に合うものが使われているそうです。

因みに従業員用玄関と階段はこちら、普段は扉で見えない様になっていますが、ボランティアガイドさんのご厚意で見せていただきました。貴賓のものとはかなりの違いですね。

 

2F 貴賓室

貴賓用階段から廊下を挟んで対面にあるのがこの貴賓室、贅を尽くした作りとなっています。

暖炉も設置されていますが、昭和の復原工事で調査した結果、一度も使われていない事が分かりました。火事を嫌っている小樽支店にとっては暖炉は装飾に過ぎないのですね。小樽支店の暖房対策は2重窓ガラス以外にも、館内全体に火を使わないスチーム暖房を張り巡らされており万全です。

床には寄木細工が施されています。

壁面には金唐革紙、唐革紙に金を施す技術で、当時の日本が万博に出展したところ、世界各国の富豪から注文が殺到したそうです。

下の写真を見ると、一部分が金ぴかである事が分かります。一度は失われた技術ですが東京の教授の尽力により、ここ小樽支店にて技術が蘇りました。

小樽支店の金唐紙には銅やスズが混ぜ込まれているため、現在は錆びて赤褐色になっています。この壁紙の中に蝶々が何匹もいるのですが、みなさん分かりますか?

 

2F 会議室

日本郵船 小樽支店2階の大部分を占めるのが会議室です。なんだかドラマや映画で出てきそうな、きらびやかな部屋ですね。このお部屋に敷かれる絨毯は日本製、1枚で60畳もの大きさです。絨毯の上に家が建てれてしまいますね笑

過去この会議室では、日本とロシアの国境を取り決める日露国境画定会議が執り行われました。まさしくこのお部屋で歴史が動いたのです。

日本郵船 小樽支店は第二次世界大戦後はロシア軍に接収されてしまいます。そして残念な事に、会議室の壁(金唐革紙)のいたる所にロシア軍がマッチを擦った跡が残っています。

2018年からの改修工事ではマッチ跡も修復されるのでしょうか?これも歴史として残すのでしょうか。

 

2F 廊下

2階には廊下が走っています。床には板廊下の真ん中にシートが敷かれているのですが、分かりますか?

これはリノリウムでできたシートです。観光客の足で床が傷まない用に後から設置したわけでは無く、建築された当初からシートが敷かれていたそうで、設計者の"建物を大事に使ってほしい"と言う気持ちが伝わってきます。

廊下の途中にはアーチが掛かっていますが、これは貴族と平民の空間を意識的に分けるために設置されている様です。

 

廊下には照明スイッチも設置されています。勝手に触るのは禁止ですが、ボランティアガイドの方が見せてくださいました。

木箱に隠すなんて、建築設計者の佐立さんは細部にまでこだわっていますよね。

スイッチは時計回り・反時計回りどちらでもON/OFFができるようになっています。これは右利き・左利きどちらでも使いやすいように配慮されているそうです。

廊下の壁面は老朽化でシミていました。日本郵船 小樽支店に使われている小樽軟石は雨に弱いという短所があり、近年ではこういったシミが目立ってきている様です。2022年には職人さんの手で元通りでしょうけど!

 

附属舎

石造りの建屋にはヨーロッパ建築に倣ってトイレが付いていません。そのためこの小樽支店にも離れが存在します。

普通でしたら木造の離れは取り壊されていそうですが、現存しています。トイレは現在でも利用されおり、私たち観光客も利用可能ですから驚きです。

なんだか昔の小学校みたいですね!

離れにはトイレ・休憩室・宿直室などがあります。

 

番外編 赤い靴の少女像

小樽支店の手前には赤い靴の少女像があります。赤い靴の少女は実在する「きみちゃん」という女の子がモデルになります。当時の北海道へは小さい女の子を連れてはいけない、という事で泣く泣く異人さんに預けられたきみちゃん。海外で幸せに暮らすはずでしたが結核に掛かってしまいます。当時の船旅は過酷でしたので、異人さんも泣く泣く東京の孤児院に入ることになります。両親に再開する事はありませんでした。

日本全国、どこを見ても「赤い靴の少女像」は独りぼっちです。それは可哀そうだ!と言う有志の団体により、ここ小樽で「赤い靴の少女像」が建てられ、家族との再会を果たしたのです。ステキな話ですね。

 

最後に

2022年3月までは保存修理工事のために閉館ですが、大変に魅力のつまった施設です。小樽観光の際にはぜひ立ち寄ってください。

ボランティアガイドの皆さんのおかげで小樽の魅力や歴史を知ることができました。本当にありがとうございました。

 

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