日本

会津旧滝沢本陣 刀傷と濃すぎる語り部に会津の悲劇を体感

会津へ日帰り旅行に行った際、滝沢本陣へ寄ってきました。滝沢本陣は飯盛山や会津若松城と比べあまり人気が無いようで、観光客は殆どいません。

しかし滝沢本陣は歴史的に見て非常に重要な建物です。戊辰戦争では本営になり、滝沢本陣を中心に新政府軍との戦争が起きたり、白虎隊も滝沢本陣から出陣をしたり護衛をしています。

当時渦中にあった滝沢本陣には刀傷や弾痕が多く残り、音声解説と共に多くの事を考えさせられます。ぜひ多くの方に滝沢本陣へ行っていただきたいと思い、観光記にまとめました。

 

滝沢本陣とは

wikipediaには以下の様に記されています。

滝沢本陣は、旧若松城下から白河、江戸に至る旧白河街道沿いにあり、滝沢峠の城下側の上り口にある。現存する建物は1678年(延宝6年)に建てられ、その頃から、会津藩主が白河街道を通る際の休息所として使用された。その後、歴代会津藩主の参勤交代[1]をはじめ、領内巡視、藩祖保科正之をまつる土津神社の参詣の際に休息所として利用された。戊辰戦争時には、藩主松平容保の出陣によって陣屋となり、座敷には当時の戦闘による弾痕や刀傷などが残る。 wikipediaより引用

簡潔に言えば、滝沢本陣は戊辰戦争前の江戸時代に、会津藩主が参勤交代などで遠出をするときの休息所として利用された古民家です。

戊辰戦争時には滝沢本陣が本営となり、会津へ進軍を進める新政府軍を食い止めるべく白虎隊の出陣・新選組による護衛が行われています。

 

滝沢本陣の場所

滝沢本陣は飯盛山の麓にあります。さざえ堂からは徒歩5~10分ほどの好立地。

 

滝沢本陣 観光記

滝沢本陣は母屋と名子屋、2つの庭園と湯殿から構成されており、建屋内は資料館になっております。過去には皇族の方も何度かいらしています。

 

まずは名子屋の内部へ、因みに名子とは身分の低い農民の事を言います。

中には農機具等々が展示されていました。名子は他の百姓に隷属するため、きっとここに住んでいたのですね。冬はとても寒そうな家屋です。

 

次に母屋へ向かいます。

入り口を入るとまずは広い土間が出迎えてくれます。当時の農機具や臼などが無作為に展示されていました。

田舎出身の方からすれば、余り珍しくないかもしれませんね笑

靴を脱ぎ、土間からフロア(おめえ)へと上がります。

母屋は土間含め、8つの部屋で構成されています。画面で見て左側の部屋が「なんど」、右側の部屋が「ざしき」です。

なんどは台所として使われていた様ですね。御膳仕立なんて言葉、聞いたことが無いので"ぱっ"と見て何なのか分からなかったです。

鎧を着た人が出陣前に雑炊を食べていそうな雰囲気!

こちらは「ざしき」です。

母屋を見学していると、野太い声の音声案内が流れてきます。昭和時代のラジオ口調とでも言いましょうか、「滝沢本陣に残るおびただしい数の弾痕や刀傷が、長州がいかに蛮行であるかを物語っています」なんて言う、憎しみの籠った濃い音声案内です。

世代が移り、会津の悲劇を身をもって感じた方が減りつつある今、こういった音声案内は貴重なものなのかも知れませんね。

戊辰戦争で滝沢本陣を舞台に新政府軍と衝突があったため、母屋には刀傷や弾痕が至る所に残っています。

小さな滝沢本陣でこんなにも沢山な刀傷が残るほどの競り合いが起きていたとは、平成に生まれた私にはとても想像できません。

刀傷だけで柱がこんなにグネグネになるんですね。。怖い怖い。。

刀傷だけではなく弾痕までも!

弾が柱を貫通してる・・・

新政府軍は相当な勢力で滝沢本陣を囲ったんでしょうね。これでは立て籠もってもハチの巣です。。

 

母屋の離れに湯殿がありました。松平容保もこちらで湯浴みをしたのでしょうか。

雪隠もあります。残念ながら使用禁止です笑

 

帰りのバスの時間まで軒先に腰を降ろし、会津戦争の事を想いながらゆっくり過ごしました。

 

 

入場料・開館時間について

パンフレットによると開館時間が曖昧なようです。入場料は駐車場奥にある窓口で支払います。

入場料:大人300円 高校生250円 中学生150円 小学生100円

開館時間:早朝より夕刻まで

駐車場:自家用車10台分

 

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