伊豆大島へ旅行に訪れた際、波浮港の周辺を散策して参りました。伊豆大島と言う離島でありながら、有名な歌謡曲「波浮の港」や小説「伊豆の踊子」の舞台にもなっていることから、波浮港が如何に魅力的な場所であるかを伺うことができます。
波浮港について
波浮港(はぶみなと)は伊豆大島の玄関口である「元町港」からみてちょうど裏側にある漁港です。
波浮港の歴史は面白く、港になる以前は火口湖でした。そして江戸時代に水蒸気爆発や大地震、大津波の災害に見舞われ、火口湖の岸壁が崩れ海と繋がります。江戸時代末期の商人「秋広 平六」の尽力によって港として整備されました。
そのかいもあり、当時は遠洋漁業の中継地として多くの漁師で賑わっていました。現在でも当時の面影を残すノスタルジックな街並みを見ることができます。
波浮港 観光記
それでは波浮港を観光していきます!
今回は車での訪問。波浮港には駐車場は無く少々迷ってしまう事もありました。
まずは「波浮港見晴台」から波浮港を一望
波浮港へ行く前に、まずやってきたのが波浮港見晴台です。見晴台の横には簡単な駐車場とトイレ、軽食の摂れるお土産屋さんがありました。
見晴台は少し高台にあるのですが、こちらからは波浮港を一望する事ができます。
波浮港の歴史を記した看板も立っています。こちらで予習してから散策すれば楽しさ倍増のはず!
こちらが波浮港の全景です。
「昔は火口湖だったのか・・・」なんて目線で見ると中々面白いですね。
波浮の街並みを散策
お次は見晴台から見た波浮港へやってまいりました。
波浮港には駐車場が無く、漁師さんの邪魔にならないよう漁港の端に駐車です。少々道が細いですが龍王崎灯台には駐車場がありますので、そちらを利用するのも手かもしれません。
波浮港は入り江ですから波が大変穏やかです。
穏やかだからか堤防が海面スレスレで今にも浸水してしまいそう。普段は港から見下ろす船の喫水線が真横にあります笑
嵐や台風の日は大丈夫なのでしょうかね?不思議です!
漁港を後にし街中へ入っていきます。とてもノスタルジックですね。
石畳の通りには、古い商店や飲食店が並んでいます。
石畳を進んだ先にコロッケが有名な「鵜飼商店」があったのですが、見逃してしまいました。
お店に寄ろうか迷いつつも、街の少し高台にある踊子の里資料館「みなとや」へ向かいます。
踊子の里資料館(旧港屋旅館)へ
踊子の里資料館(旧港屋旅館)は今は営業をしていない旅館を利用した資料館です。
小説「伊豆の踊子」の主人公カオルのモデルとなった踊子さんは、この波浮港で暮らしていたそうで、こちらの港屋旅館でも良く"お呼び"が掛かっていたそうです。
入場料は無料、館内は無人となっています。
実際に訪れてみると佇まいが旅館そのものなので、今も旅館を営んでいるのでは無いかと入るのに躊躇してしまいました。
玄関からはスリッパに履き替えてお邪魔します。
館内に立ち入ると自動で音声ガイドが流れ始めました。なかなか心臓に悪いです。
そして横を向くと蝋人形。本当に心臓に悪いです笑
こちらは宿泊部屋でしょうか?港屋は大島への定期船も無い時代でありながら3階建てです。
宴会場は1階と2階にありました。当時は毎日大賑わいだったのでしょうね。
こんなに素敵な旅館なのに、今は営業をしていないなんてもったいないですね。
みなとやを後にし、次の目的地「旧甚の丸邸」へ向かって階段を上っていきます。
階段の途中には小さな祠がありました。
階段を登りった先に旧甚の丸邸はありました。
網元のお屋敷「旧甚の丸邸」へ
旧甚の丸邸は網元によって明治時代に建てられたお屋敷です。現在は資料館として開放されており、無人管理で入場無料です。
踊子の里資料館ほどのドッキリはありませんので安心してください笑
お屋敷は石造り(大谷石)の2階建て、なまこ壁が特徴的です。これらは大島の物では無く、伊豆より大工職人と共に取り寄せたそうで、かなりの贅が尽くされている事が伺えます。
屋敷内に入って最初に目を引くのが庭の池、水が貯まらなかったそうで、枯山水の様式が取り入られているそうです。
それではお屋敷内にお邪魔します。
家財の一切が取り払われているため殺風景に感じますが、柱も梁も大変に太く、かなり立派な作りであることが分かります。
1階にはなぜか黒電話が一機置いてありました。
1階渡り廊下、ここからはお庭の池を望むことができます。
窓ガラスはレトロな手延べ板ガラス、ガラス越しに外を見るとゆらゆらと揺らいで見えます。
余談ですが我が家も同じガラスを使用しており、祖父からは「今はもう手に入らない、割れたら変わりの無い貴重なガラスなんだよ」とよく聞かされておりました。今調べてみると、ヨーロッパから輸入すれば手に入るみたいですね。
1階にはおトイレもありました。明治時代の建物でおトイレがお屋敷内にあるって、なかなか珍しくないですか?
おトイレの便器が大変に見事ですね。
当然ながらぼっとんで、便器を覗くと外の光が差し込んで見えます。
お次は2階へ上がります。階段が急なのできをつけてくださいね。
2階ではかつて蚕の飼育がおこなわれていました。特に何もありませんが、それが逆に無骨な木組みを引き立たせ大変素敵です。
囲炉裏の部分だけ吹き抜けになっていました。煙で天井をいぶせるため、防虫対策にもなる構造です。
屋根を見上げると大変に太い梁が走っています。これも本州から持ってきたのでしょうか。
旧甚の丸邸の観光は以上です。少し歩いて小腹が空いてきたのでお隣にあるたい焼き屋さんへ立ち寄ります。
たい焼き屋「東京梵天」へ
次に訪問したのがたい焼き屋、「東京梵天」さんです。
レトロモダンとでも言いましょうか、立ち寄りたくなる雰囲気です。
タイ焼きの種類は大きく分けて二つありました。
大島名物「明日葉」を使った冷たい"もちもちたい焼き"と、通常の"羽根付きたい焼き"です。
「う~ん、どっちも美味しそう!」
迷った挙句、冬の寒さが後押しし羽根付きたい焼きのカスタードを注文しました。
注文を受けてから、作りたてを提供してくれるようです。やってきましたい焼き!
思った以上に羽根付きです笑
「たい焼きってこんなに美味しかったっけ・・・」
ホクホク甘々で大変に美味でした!
小腹を満たした後、今度は龍王崎灯台と鉄砲場を見学しに向かいます。
「龍王崎灯台」と「鉄砲場」へ
灯台のふもとには駐車場がありました。
そして龍王崎灯台、灯台は航海に重要な施設なので当然立ち入り禁止、下から眺めるだけです。
鉄砲場は灯台の目と鼻の先にあります。そのまま歩いて向かうことにします。
「ニーニー」
鉄砲場に向けて歩いていると、なんと黒猫が近寄って体をスリスリしてきました!
「う~ん。。取り合えずナデナデしよう(*´ω`*)」
なでなでしていると今度はお腹を見せてクネクネし始めました。
「かわいいなぁ!でもあんまり懐かせても責任とれないし。。」
我に返り、無視することにしました。もうちょっとナデナデしたかったな・・・でも痩せてなくて毛並みもしっかりしてたから、餌は貰えてるのかな?
話が脱線しました!
鉄砲場はロシア兵の街への上陸を阻止するために設けられた街の要塞で、槍や投石用の石、鉄砲が配備されていました。かつて高台にある街へは、この地からしか通じてなかったそうです。
そして第二次世界大戦時には、陸軍の監視所として使用されていました。本土爆撃をしたB29爆撃機の一番機はこの監視所から発見されたんですって。
かつては敵国の兵器であったボーイング社のB29、現在は本土と伊豆大島を結ぶボーイング社の高速船B929。感慨深いです。昔を思い馳せ、平和を噛みしめました。
どうやら大東亜戦争(第二次世界大戦)で使われていた塹壕が残っているようです。
う~ん、これかな?
それとこの石碑の下は防空壕でした。
このかまども戦時の監視所の遺構です。
まさか離島の伊豆大島にまで戦争の傷跡が残っていたとは驚きでした。これにて波浮港の散策は終しまいです!
「今度訪れたときは、沈む夕日を岬から見ながらのんびり観光したいな」
そんな風に思える素敵な港でした。